大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和46年(う)345号 判決

被告人 堤道春

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一〇月に処する。

原審および当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人羽田辰男作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここに、これを引用する。

控訴趣意中、事実誤認の論旨について。

所論の要旨は、本件は、被告人が昭和四五年一〇月八日午後三時五〇分頃、大型貨物自動車を運転し、原判示岐阜県羽島郡岐南町伏屋四二〇番地先国道二二号線を南進中、対向車である原判示新原博昭運転の小型貨物自動車の右前部に自車右側を衝突させ、よつて右新原博昭に対し原判示のごとき傷害を負わせるに至つたという事案であるところ、原判決は、この事案に対し、業務上過失傷害罪の事実を認定しないで、故意による傷害罪の事実を認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実を誤認したものであるというのである。

所論に鑑み、本件記録を精査し、かつ当審における事実取調べの結果をも参酌して検討してみるに、原判決の認定した犯罪事実は、傷害の故意の点を除きこれを認めるに十分である。即ち原判決挙示の各証拠並びに当審における新原博昭の証人尋問調書を綜合すると、(一)被告人は、昭和四五年一〇月八日午後三時五〇分頃、大型貨物自動車(名古屋一に六五八〇、車幅二・四五米)に残土約一〇、八六〇瓩を積載して岐阜県羽島郡岐南町伏屋四二〇番地先国道二二号線(名岐バイパス、幅員約一二・四米)を時速約六〇キロで南進していたこと。(二)被告人は、同国道上において、同一方向に先行する軽四輪自動車を先づ追い越すため、警笛を吹鳴しながら時速七〇キロ位に加速しし、センターラインから車体の約半分位を対向車線上にはみ出して追い越しを開始し、そのままのはみ出し運転の状態で右軽四輪自動車と併進状態になつたこと。(三)被告人は、この時点において初めて自車の進路前方約一〇〇米先の対向車線上を対向直進してくる新原博昭運転の小型貨物自動車を発見したこと。(四)右新原車は、センターラインと約五〇糎位の間隔を置いたいわばセンターライン寄りを進行しており、かつ右新原車の左側には他車が併進しており、また後続車も追従進行していたので、新原車としては、センターラインをはみ出して進行してくる被告人車との衝突をさけるために、同人速度のままでは、急拠ハンドルを左方にきることは困難であり、また減速して左側併進車の直後に追従することも、後続車との追突の危険も考えられる位置関係で進行していたものであること。(五)被告人は、右新原車を発見した後においても、自車の車体の約半分位をセンターラインよりはみ出したままの状態であることを知りながら運転を継続し、その結果新原車と衝突し、新原博昭に対し原判示のごとき傷害を負わせるに至つたものであるとの事実関係を認めることができる。

原判決も以上の事実関係を認定したうえ、本件につき傷害罪を認めているのであるが、原判決が、右傷害罪の故意について未必的故意を認めているのか或は確定的故意を認めているのか判文上は必ずしも明確にこれを窺うことができないが、何れにしても傷害罪の故意を認めた理由として判示するところは、(一)被告人は、新原車が前示認定のごとくセンターラインと約五〇糎位の間隔をおいたいわばセンターライン寄りを走行しており、その左側には併進車があり、かつ後続車もあつて、新原車が被告人車との衝突をさけるため急拠センターライン寄りから左方にハンドルを切つて避譲することが困難な進行状態にあつたことを十分に知つていたのであるから、被告人において、前示認定のごとき状態のままで運転を継続すれば、被告人車が先行車を追い越し完了前に右新原車と衝突する危険が必定であることを認識していたこと。(二)被告人において、新原博昭が被告人車の進行状態を知りながら、自ら衝突の危険を冒してまでも敢てセンターライン寄りを進行してきたものと速断して腹をたて、被告人としては新原車との衝突を避けるため十分に避譲措置をとり得る余地があつたに拘らず、敢てその措置をとらずそのままの運転状態で進行したものであるとの点にあることが窺われる。

原判決が、傷害の故意を認め得られる理由として判示する以上の点は、被告人の主観的認識に係るところが多いので、この点に関する被告人の供述を検討してみるに、左記供述調書における被告人の供述の要旨はおよそ次のごとくである。

昭和四五年一〇月九日付検察官に対する供述調書。

「対向車と衝突するかも知れないと認識していたが、おそらく対向車が私の車を避けてくれるものと思つた。」

昭和四五年一〇月一七日付検察官に対する供述調書。

「対向車からは私の車がよく見えるので、対向車の方で私の車に気をつけてくれるであろうという気持があつたので、センターライン右側へ車体半分はみ出してもよいなあと軽く考えただけで右側へ車体半分はみ出したまま進行した。先行車の軽四輪と併進したときに前方一〇〇米位先にセンターライン寄りを対向してくる新原車を発見したが、私の車がセンターラインをはみ出して進行してくる状況が判る筈なのに、センターライン寄りを進行してくる態度に腹をたてた私は、軽四輪のさらに先行する大型車を追い越す前に新原車とすれ違うことになることは判つていたが、新原車が避けてくれるかも判らん、避けてくれなければ、衝突しても構わないという気持でそのまま進行した。」

昭和四五年一〇月二二日付検察官に対する供述調書。

「そのまま進行すれば、新原車と衝突するということは初めから判つておりながら、私はブレーキをふんだり、左へ寄つたりせず、新原車の方で避けてくれるものと思い、新原車が避けてくれなければ衝突するということを知りながら進行した。しかし相手に私の車を衝突させてやろうとか、相手がけがをしても構わないというような気持はなかつた。」

昭和四五年一〇月二二日付検察官に対する供述調書。

「新原車を発見したとき、そのままの状態では運転席同志が正面衝突するということが判つていた。私の方で衝突をさけるため軽四輪の後方に追従して新原車に進路を譲ることができた状態であつたのに、新原車が故意にセンターライン寄りを進行してくるのに腹をたて、当然新原車の方で避けるべきであると思い私としては避けることをしないでそのまま進行した。新原車としても当時の走行状況は、五〇糎ないし一米位は左側へ寄れた筈だし、私に進路を譲ることが容易にできた状況であつたから当然そうしてくれるものと思つていた。」

昭和四五年一〇月九日付司法警察員に対する供述調書。

「対向車と衝突しても仕方がないわという気になつてそのまま進行した。」

昭和四五年一〇月一四日付司法警察員に対する供述調書。

「軽四輪が対向車と衝突しても仕方ないわという気になりそのままセンターラインを越えて進行した。対向車が左側によけてくれればもうけものだと思い衝突を覚悟した。」

原審公判廷における供述。

「本件の場合、対向車が避けてくれるものと思つていたし、対向車も避ける余地があつたと思つていた。事故を起すまいという気持はあつた。そして衝突直前危いと思つてハンドルを左に切つた。」

以上の各供述は、当時の具体的交通状況の下における極めて短時間内の被告人の認識を供述しているものであるから、当時の具体的交通状況を十分に検討したうえで、その真意を判断すべきものであることは勿論であるので、この点につき十分考慮を加えたうえ、右各供述を綜合すると、被告人の当時の認識状態は、(一)被告人は、原判示国道上において、先行する軽四輪さらにそれに先行する大型車を追い越すべくセンターラインより右側に車体半分位をはみ出したまま進行し、対向してくる新原車が、センターライン寄りを進行してくるので、両車がそのままの状態で進行すれば衝突することは必定であると認識していたこと。(二)被告人は新原車との衝突を回避する余地があつたのに拘らず、これらの回避措置をとらないでそのまま進行したこと。(三)被告人としては、新原車側において、被告人車との衝突をさけるために左方に避譲することができる余地があると考えていたので、むしろ新原車側の方で避譲してくれるであろうから衝突事故はおそらく発生することがないであろうと認識していたものであつたと認めるのが相当である。本件において、右(一)(二)の事実のみが認められるときは、原判決認定のごとく、傷害の故意を認め得る余地があると考えられるけれども、加えて(三)の事実が認められる以上は、被告人において、自己本位的ではあつたけれども最終的には衝突による結果の発生を認容しなかつた認識状態にあつたものであることが明らかであるから、このような場合においては、所謂「認識ある過失」の問題として捉えるべきものであると考えられる。本件における被告人の運転態度が、前述のごとく極めて自己本位的で危険であり、交通倫理のうえからいつて強く非難さるべきものであることは勿論であるけれども、本件においては、以上の理由により、被告人に衝突による傷害の故意があつたものと認定することはできず、業務上過失傷害罪の成否を判断すべき事案であると思料される。それ故、原判決が本件につき傷害罪を認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実を誤認したものであり、原判決は、他の論旨に対する判断をするまでもなく破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は昭和四五年二月頃から名古屋市千種区猪高町猪子石原大島建設株式会社に雇われ自動車(いわゆるダンプカー)の運転業務に従事していたものであるが、昭和四五年一〇月八日午後三時五〇分頃、大型貨物自動車(名古屋一に六五八〇、車幅二・四五米のダンプカー)に残土約一〇、八六〇瓩を積んで、岐阜県羽島郡岐南町伏屋四二〇番地先国道二二号線(名岐バイパス、幅員約一二・四米)を時速約六〇粁で南進中、前方を同一方向に進行する軽四輪自動車を追越すため警笛を鳴しながら時速七〇粁近くに加速し、センターラインから車体約半分を対向車線にはみ出させて追越を開始し、右軽四輪自動車と並進状態になつたとき、前方約一〇〇米の対向車線上をセンターライン寄りに高速で北進してくる新原博昭(二〇才)運転の小型貨物自動車を発見したが、同車はセンターラインと約五〇糎の間隔をおき、その左側を進行している自動車と並進しており、更にその後続車もあつて、被告人に於てこのまま運転を継続すれば追越完了前に新原運転の小型貨物自動車と衝突する危険があることを認識したのであるから、センターラインを越えて進行していた被告人の方で当然直ちに減速して左側道路に復帰し衝突の危険を回避する措置をとるべき業務上の注意義務があり、またそのような措置をとることが可能であつたのに、被告人がセンターラインを越えて追越をしていることを知りながら新原が並進車を追越そうとしてセンターライン寄りに進出してきたものと即断して腹を立てて何等の回避措置もとらないで却つて新原博昭において避譲してくれるものと軽信して、敢て同一速度のまま進行を続けた過失により、新原運転の小型貨物自動車右前部に自車右側を衝突させ、因て同人に対し症状固定に約六ヶ月を要し、更にその後も強度の運動機能障碍を遺す右肘関節部粉砕骨折の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)

原判決の摘示する証拠と同一であるから、ここに、これを引用する。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内において被告人を禁錮一〇月に処し、原審および当審における訴訟費用について、刑訴法一八一条一項本文により、これを被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例